自由と箱庭と本質

info/game/misc - 2005.04/23

GTAの自由は暴力である、というのは非常に正しい。
自由は暴力である、というのは勿論違う。
何かというと、現行ハードの表現力では箱庭空間は
何も出来ない薄っぺらな体験しかもたらさない。
自由を求めただ漠然と箱庭を作っただけでは、ね。
さて、そんな作っただけでは薄っぺらな箱庭。
そこを面白くするためにアクセントを盛り込むわけだ。
GTAでは過剰なバイオレンス。
そもそもゲームにおいて自由はインモラルであるから
社会的にインモラルなバイオレンスと非常に相性がいい。
そうこうしてGTAは面白い作品となったのであった。
暴力のないGTAなんてJSRFであり、クソつまらない代物。
(注:私はJSRFを最低最悪のゲイムと思っている)
女性キャラのいないDOAと一緒。
お前らが格闘部分が本質だと幾ら叫んでみたところで
女性キャラがいなきゃあ見向きもしないだろうに。
つまりDOAの本質は女性キャラと言える。
事実としてしょうがないものとして、むしろ開き直れ。
そうだよ何が悪いと言われれば何も悪くないとしか答えられない。
GTAだってさ、つまりはさ、暴力マンセー。
以上。

と言っても、私はGTAは面白いと思っていないのだけれど。
ゲイムの面白さって束縛の突破にあると思いませんか?
いくらアクセントを盛り込んでみたところで本質的に薄い箱庭なんだよ!
と言う。
同意求めず。